●逮捕・有罪:ドストエフスキーの場合
27歳で死刑台に向かうドストエフスキーは、処女作『貧しき人々』の他には、大した作品もないまま世を終えるかに見えた。『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』といった名作は、まだ存在しなかった。
彼の主な罪状は、ロシア正教会を批判した手紙を集会で朗読したこと。ともに逮捕されたペトラシェフスキー会の仲間たちも同じ死刑判決を受けたが、誰もそれほどたいそうなことはしていなかった。一時的な興奮から「隆起するしかない!」と叫んだりはしても、基本的には空論を楽しむ、たわいのない集団だった。
だが、当時ロシアで活動していた社会主義サークルはこれだけで、「革命の機運を一掃する」と豪語するニコライ一世のもと、彼らが秘密警察の目に留まるのは当然のなりゆきだった。
白装束を着せられたドストエフスキーは、同時に逮捕された仲間たちが処刑用の柱に縛りつけられていくのを目前に、ブルブルと震えた。死刑執行人の銃は肩に乗せられ、銃口が仲間たちを狙い、「照準!」と号令……。
が、銃は発砲されなかった。この時、皇帝からの使者が「刑の執行を猶予せよ」という礼状を持って現れ、ドストエフスキーは「死刑」から「4年間の強制労働の後、兵役勤務」に減刑された。
実はこの進行すべて、皇帝の書いたシナリオ通りだった。白装束も使者登場のタイミングも減刑も、あらかじめ決まっていたのである。これにより一人が発狂したが、計画する側の悪ノリはちょっと楽しそうな気も。
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● 人生のポイント
その後、新約聖書以外の書物を読むことは許されない獄中、ドストエフスキーは神に目覚めた。後に「囚人が神なしで生きることは不可能だ」と作中人物に言わせた通りである。同時にロシアの民衆に触れ、苦難とともに生きる術を学んだ。
4年間の強制労働を終えると、彼は「あれ(与えられた刑)は僕の十字架であり、僕はそれを受けて当然だと思っています」「以前の僕なら思いもよらなかった欲望、希望、といったものが今では胸にこみ上げてきます」と、やけに肯定的な人生観を持つ前向きな人間になっていた。
その後、逮捕以来の使えるネタを活用し「死刑直前で減刑」は『白痴』に、シベリアでの強制労働は『死の家の記録』に描いて名声を確立する。晩年には、自らをロシア民衆の救世主的な役回りに仕立て上げる彼だが、この傾向も獄中体験から芽生えたようだ。
なお、数十年後のドストエフスキーが「あんな幸福だった日はこれまでになかったよ」と語ったのは、死刑を言い渡され減刑となった、あの日である。その時彼は「体がしびれるような喜び」を覚えたという。確かに最悪の状況を切り抜けられること以上の幸せって、そんなにはないかも。
そういえば、手首を切るのは「気持ちがいい」というリストカット常習者がいる。苦痛がなければ快楽というのは認識できないものなのかもしれない。同じように、不幸がなければ幸福なんてものは、あるのかどうかすらわからないものなのだろう。
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● もし有罪にならなければ
『貧しき人々』で彼をほめたたえた評者たちは、それ以降のいまいちぱっとしない彼の作品群と、うぬぼれが強く、嫉妬深く、喧嘩好きで、邪知深く、卑屈で、利己的で、高慢で、信頼ができず、思いやりがなく、偏屈で狭量かつ博打好きなこの男の性格を知るうち、「どうも自分の目に狂いがあったのでは」と考え直す。医者の息子で地主だということが知れわたると、ドストエフスキーを敬愛していた民衆たちからも「こいつなんだかんだいって単なる偽善者じゃねえか」と見なされ、総スカンをくらうようになる。結局、父が農民に殺された体験と持病のてんかん発作をネタにした小説を得意とする、ロシアだけでちょっと有名な一文士として生涯を終える。
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