●父の死:テレサの場合
テレサの父ニコラは、真摯なカトリック教徒であり、手広く建設請負業と食料品の輸入業を営む、成功した実業家だった。人望は厚く、市議会議員にも選ばたこともあり、町のブラス・バンドのメンバーでもあった。歌うことが好きで、政治について語り合う友達も多かったという。
家庭は裕福で、客足が絶えず、愛と幸せに満ちていた。テレサの母ドラナは夫が帰って来る時間になると、髪をとかし服を着替えて、注意深く夫を迎え、子どもたちはそれを楽しそうに眺めた。ドラナは悩み苦しんでいる人たちを訪ね、お金や食べ物を提供することも多かった。困っている人が訪ねてきたら、決して追いかえさず、家族の一員として迎え入れた。ニコラは妻がいつも貧しい人を助けられるように、お金を用意していた。
が、テレサが9歳のとき、父ニコラは45歳で急死した。
ニコラは情熱的なアルバニア愛国主義者で、民族運動に深く関わっていた。自宅から260キロ離れたベオグラードで大きな集会に参加するため、元気に家を出ていったが、帰宅したときには瀕死状態で、突然血を吐いた。近くの病院に運び入れたが、もはや手のうちようがなく、翌朝、こと切れた。医者も家族も、毒殺に違いないと考えた。確かなことはわからないが、対立した政治グループに飲まされた毒が死因、とする説もある。
一家のあったスコピエの町全体が喪に服し、地位のある人が亡くなったときの習慣で、各学校ではハンカチが配られたという。
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●人生のポイント
ニコラの死後、一家の資産は行動経営者に横領された。一家が所有していたはずの土地も、その権利を立証できる書類がまったく残されていないことがわかった。結局、家族には住む家しか残らなかった。
母ドラナはひどく落ち込み、抜け殻のように無気力になり、何ヶ月も長女に頼りきって、茫然自失の状態が続いた。家父長制の強いアルバニアでは妻が夫の言いなりになっている一家が多く、女性が活躍できる場も多くなかった。
が、もともと気丈なドラナは、いったん立ち直ると頼もしかった。刺繍と織物を始めると、テレサの兄ラザールが織物工場と話をつけ、仕事は繁盛していった。
といっても、一家はもはや裕福ではなかった。それでもドラナは、もっと貧しい人々を世話することをやめなかった。母親の姿勢から、女性が苦難に立たされても、そこから逃げないで努力すれば、状況は変えられるのだということ、恵まれない状況におかれても人を助けようとする姿勢を学んでいった。
父の死から、一家の信仰はより強くなり、母子揃って地元の聖心教会の行事や奉仕に熱を入れていった。教会に図書館が作られると、テレサはたちまち本のとりこになり、たくさんの書物を読みふけって、カトリックの考え方や知識を吸収する。
祈りの言葉には「天におられる私たちの父よ」とある。テレサは亡き父についてはほとんど語っていない。が、知らず知らず、神への祈りに、亡き父への思いを重ねていたのかもしれない。
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●もし父親が生きていたら
父の手腕を受け継ぎ、ビジネス界でみごとにのし上がってゆくテレサ。信仰心と財テクは矛盾しないはずだと考え、聖書の解説書、子ども向けの絵本版、朗読カセットテープなどを次々発売、どれも大当たり。
人好きのする性格のテレサには素敵なボーイフレンドもぞくぞくと出現。母とともにファッションブランドを立ち上げ「デートのときはこのコーディネート」「帰宅した夫を迎えるための部屋着」など、ライフスタイルを提案しながらアパレル業界でその名をとどろかせる。後年は父の建設会社、貿易会社のCEOに就任、父譲りの愛国心を社内方針にも反映させ、アルバニアグッズを世界100カ国以上に流通させる。大口の寄付で教会や学校も設立しつつ、アルバニアの大富豪一族の稼ぎ頭として世界にその名をとどろかせる。

