2005年06月07日

アイザック・ニュートン(1642-1727)…イギリス/科学者

<玉の輿再婚大成功>

●父早死に:ニュートンの場合

親というのは、長く生きるほど子供のためになるわけではない。

ニュートンが生まれる3ヶ月前に、彼の父アイザックは死んだ。長い目でみれば、これは早産で生まれたニュートンにとって最初の幸運だった。

裕福ではなかった父は「金遣いが荒く体の弱い男」で「粗野で、無茶で、意気地なし」(ただしこれは後出する妻の再婚相手スミスの評)だったといわれる。その家系は彼を含めずっと文盲で、ニュートンの登場まで自分の名前を書ける者はいなかった。

夫と同じく学問と縁のない出自の母ハナは、階級社会イギリスの通例に従い、息子に親の後を継がせるつもりだった。つまり、ニュートンは当然、農民になるはずだったのだ。

ニュートンが3歳の時、母ハナ(当時30歳くらい)は裕福な司祭スミス(当時63歳、それまでずっと独身)と再婚する。これはニュートンの養育費を得る目的もあったようだ。父の死による遺産は、幼い息子と母の未来を保障できるほどのものではなかったのである。ニュートンは祖母のもとに預けられ、しばらくは母と離れて暮らした。

後の告白によれば、この頃ニュートンは還暦を過ぎた義父をひどく恨んでいたようだ。スミスに「お前の両親を殺し、家を焼いてしまうぞ」なんて脅してたらしい。とはいえ、義理の息子に多大な金銭的援助を与え、彼の母親を次々と身ごもらせた義父からしてみれば、未来の大科学者の恨み節も、ガキのたわごとくらいにしか聞こえなかったかも。

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●人生のポイント

ニュートンが14歳になると、義父スミスも亡くなった。これも長い目で見れば、ニュートンの人生にとって絶妙なタイミングでの死に方となった。

母ハナは彼との間にできた3人の異父弟妹を連れて長男の暮らす実家に戻った。そして、ニュートンに通っていた学校をやめさせ、無理やり農業をやらせる。

が、当の息子は農業そっちのけで義父の遺した自然科学系の本を中心に科学書を読みあさり、水車などの模型作りに熱中してばかり。やがて知識階級のスミス家側が「この子には農業より学問をさせるべきでは」とハナに説得し、ニュートンはケンブリッジ大学に進学する。これは義父スミス及びスミス家の存在なしにありえなかった選択である。以降、ニュートンは科学者としての道を邁進してゆく。

ニュートンは「自分は神から選ばれた人間である」と確信し、自分に絶対の自信を抱いていた。幼児死亡率が非常に高い時期に早産で生まれた彼が生き延びたのは奇跡的だったし、当時存在した「父の死とともに生まれる男子には比類のない能力が授けられる」という迷信に影響されたのかもしれない。ニュートンの神に対する異常な執着は、聖職者だった義父への反発心からともいわれるが、いずれにせよこの態度が彼に比類のない業績をもたらした。

結果からすれば、実父・義父の死期は、科学者ニュートンの人生を成功に導くうえで都合のよいものだった。あの世に行くにも肝心なのはステキなタイミング、である。

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●もし父親が生きていたら

寡黙な農民となったニュートン、文字もほとんど知らぬまま、病弱な父に代わって土に向き合い汗する毎日。鍬を持つ手を止め、額ににじむ汗を泥にまみれた手の甲でぬぐう。と、目の前のリンゴの木から、よく熟れた赤い実がひとつ、ポトリと落ちる。この光景を脳裏に焼き付けながら、彼は「甘いリンゴをたくさん作る法則」を考えるが、何も思いつけない。「俺の人生こんなことでいいのか」とひとり呟くが、握りなおした鍬が土を打つ音に、想いはかき消されてゆく。やがて夕闇があたりを包み、ふと空を見上げれば、そこにはぽっかり白く光る月がひとつ。「月はどうして収穫できないのだろう」などと考えながら、ニュートンは帰り支度を始める。

newton.jpg
「天体の運動はいくらでも計算できるが、人の心は計算できない」
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■プロフィール

科学上の業績は三大発見といわれる、光のスペクトル、万有引力、微積分(流率法)が有名。万有引力の法則と力学の3法則により、地上の物体の運動と宇宙の動きが同じ法則によって支配されていることが明らかにした。光の回折、干渉の研究ではフック、微分・積分学についてはライプニッツと、度々激しい先取権論争を繰り広げた。晩年は造幣局長官となって贋金作りを取り締まり、イギリスの金本位制を生む。この他にも国会議員、王立協会会長を歴任。科学史の金字塔『プリンキピア(自然哲学の数学的原理)』出版後は、虚脱感から鬱状態に陥った。自然科学の任務を「神への到達」と考え錬金術に熱中し続けたため、「最後の魔術師」とも呼ばれる。

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■参考文献

島尾永康『ニュートン』岩波新書(岩波書店、1994)
リチャード・S.ウェストフォール/田中一郎、大谷隆昶訳『アイザック・ニュートン 1、2 』(平凡社、 1993)
河辺六男編『世界の名著26ニュートン』(中央公論社、1971)


posted by 73 at 07:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 父早死に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ニュ−トンの伝記から、あなたの言われる「親というのは、長く生きるほど子供のためになるわけではない」ということが導かれるとは、驚きというか痛快というか、人々への慰めになりますねえ。どのような人も、最後には偉大な成果をあげるための一コマには、なるわけで。
Posted by higashi at 2010年02月12日 23:55
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