2005年06月10日

チンギス・ハン(1167-1227)…モンゴル/モンゴル帝国創設者

<嫁探しの代償>

●父早死に:チンギス・ハンの場合

チンギス・ハンと聞いてモンゴルだの遊牧民だのを思い浮かべ、ほんわかのんびりさせられていると大きく間違う。1000年ほど昔は狩猟と戦争が似たようなものだと考えられており、彼が生きたのは叙情酌量もへったくれもない弱肉強食の無法世界だった。

9歳のテムジン(チンギス・ハンの幼名)は、父と一緒に嫁探しをし、見栄えのよい娘ボルテをみつけ、婚約した。

テムジンの父はモンゴルにおける次の部族長の有力候補者だった。彼はテムジンの相手を決めると、当時の慣習どおりに息子を婚約者のもとに残して去った。その帰り道、反目していたタタル族に毒殺された。

これが引き金となり、テムジンは父の部下に裏切られて捕らえられ、殺されそうになる。何とか逃げ切った後も、テムジン一家は餓死寸前の厳しい生活を強いられる。切り詰めた生活の中、兄弟仲が悪くなり、テムジンは母親違いの弟ベクテルを殺してしまった。これがもとでずいぶんと母親に怒られたりもしたらしい。

テムジンが「自分のために父は死んでしまったのだ」と考えてくよくよ悩むほどナイーブだったかはわからないが、父の死+捕虜生活+弟殺し+母の説教を立て続けに体験したら、どんな人間だって気が滅入るに違いない。この後さらに、メルキト部の攻撃を受け、妻ボルテを奪われてしまう。まだ新婚ホヤホヤの彼にはこれもショックだったろう。

まあ、今の日本だって戦争になれば「こんなのよくある話」で片付けられるだろうけど。

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●人生のポイント

落ちぶれまくったテムジンは、亡き父の七光りにしがみつくしか這い上がる手立てはなかった。

彼は父と親しかった者を訪ね、徐々に部族の勢力を取り戻す。仲間たちの助けによりメルキト部を倒し、妻ボルテも奪い返した。が、彼らの社会では残念ながらジェンダー教育が行われていなかった。戻ってきた妻はすぐに、テムジンの子でない男子を生んだ。

とはいえ、戦いに勝ったことで一目置かれるようになったテムジンは、部族会議で亡き父の朋友や近縁者たちから指導者に推され、チンギス・ハンの名を与えられる。

チンギスは光の精霊、ハンは王の意である。だからどうした、といわれればそれまでだが。

チンギス・ハンはこの名に満足しないで、ひたすら勢力拡大に努める。20年の後には、モンゴルの遊牧民諸部族を統一し、中国、アジア、東ヨーロッパの大半を大量殺戮と略奪を繰り返すことにより征服し、モンゴル帝国を築き上げることになる。

何も悪意を持っていないのに虐殺された側からすれば、チンギス・ハンは途方もない悪党だ。それでも、父を殺され最初の妻を奪われた若い日の彼を思えば、この残酷さもちょっとくらいは理解できそうな気もする。

征服した国の女性たちに対し、組織的に性交を強要していたといわれるチンギス・ハンは、2004年のDNA解析の結果、世界中で一番多く自分の子孫を残した人物とされる。父との絆には義理堅い彼、恋愛観はずいぶんドライな人間だったようである。

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●もし父親が生きていたら

父が部族長となり、そこそこの安泰生活。仲のよい一家を守るテムジンは、美しい妻とともに落ち着こうと、定住生活を始める。やがて、壁を彩色するペンキ職人となり、なぜかダンスに目覚め、屋内ダンス場を建築。毎週土曜の夜はお祭り騒ぎを繰り返し、見事なステップででオノン川流域のヒーローとなったテムジン、ダンサーの指導者に推され、チンギス・ハンの名を与えられる。西の国から流れてきた旅人たちを父に紹介され、彼らと一緒に自分の名をタイトルにした誰もが踊れるディスコミュージックを完成。この曲は屋内パーティーのみならず、捌いた羊を直火であぶって食べる際のバックミュージックとしても世界各地で大流行。

成吉思汗.jpg
「私が成功するだけでは十分ではない。皆が失敗しなければならない」
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■プロフィール

名はテムジン(鉄木真)。中国、アジア、東ヨーロッパの大半を征服し、史上最大の国家であるモンゴル帝国を築き上げた。戦術・戦略の才能に長けていただけでなく、周囲の者に公正で差別をせず偏見を持たなかったため、多くの有能な人材や技術を得た。当時のハンを含む遊牧民らは、獲物を殺すことと戦争で人を殺すことを同じようにみなしており、殺戮と略奪を繰り返して領土を広げた。ただし、イスラムの工芸家や職人の技術は高く評価し、捕虜として連れ帰った。現在もモンゴルでは国家創建の英雄とされるハンだが「帝国主義は西洋起源」説の反例など、反面教師として使われることも多い。生年、死因(しばしば病死とされる)には諸説あり。

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■参考文献

小林 高四郎『ジンギスカン』岩波新書(岩波書店、1986)
ラーフ・フォックス/由良君美訳『ジンギスカン』(筑摩書房、1992)


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