2005年06月24日

アンリー・デュナン(1828-1910)…スイス/赤十字創立者

<赤字が生んだ赤十字>

●破産:デュナンの場合

デュナンのような人が経営する会社で働いてはいけない。彼の資質はまったく事業向きではなかったのである。

裕福な家庭に生まれたデュナンは、アルジェリアに製粉会社を建てようと、勤めていた銀行を辞め、30歳で会社を設立する。が、共同経営者も現地民もデュナンの信頼を裏切り、まじめに仕事をしなかった。水利の便が悪く、水不足もたたって借金は増える。

これではいけないと思ったデュナン、盲目的に傾倒していたナポレオン皇帝に、製粉会社の水利の改善を直訴しようと考え、イタリア統一戦争中の北イタリアに赴く。直訴で会社が何とかなるなら、みんなそうする気がするけど……。

ここでソルフェリーノ戦の惨状を目のあたりにし、「こんなむごい状態をとてもほおってはおけない」と、1ヶ月にわたって救護にとどまる。どうやら自分の会社の惨状は平気でほおっておけるようである。結局、皇帝への直訴にも失敗する。

その後、デュナンは隠遁し、戦場での中立的な救護機関設置の必要性を訴えるため『ソルフェリーノの思い出』を書き上げる。やはり、会社経営なんてどうでもいいのだろうか。本の反響から翌年には、国際赤十字が誕生する。

皇帝との謁見もかない、激励を受けるが、事業は成就しなかった。会社の決定的財政危機でパリの相場に手を出したデュナンは破産宣告を受け、赤十字国際委員会に辞表を提出する。

このぶんだと、最初の直訴が成功していたところで、会社はつぶれていただろう。

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● 人生のポイント

水利を直訴で改善できると考える人も珍しいが、直訴を目的にした旅路で戦地の救護活動を1ヶ月もやってしまう人も珍しい。自分の会社が危機にあるのに1年隠遁して本を書く人、というのもいなくはないだろうが珍しい。この珍しい行動の連続が、国際赤十字などという珍しいものを生んだわけである。

デュナンは破産し辞職してからも、赤十字への助力を惜しまなかった。が、経済的に落ちぶれたうえに病身となり、講演の最中に失神を繰り返すようになる。

富裕な軍楽隊関係の音楽家の未亡人であるカストナー夫人と出会い、彼女からの援助を受けつつなんとかやってゆくのだが、この交際は後に、デュナンへの中傷を招く。ヒモみたいなことしてる男が博愛を説くなんて……といった、いつの世にもありがちなやっかみだろう。そうでなくても、度々失神する講演者の話に説得力は感じにくい。デュナンの発言の影響力は、徐々に薄れていった。

奴隷問題などを取り上げた1874年頃には、デュナンの提案は黙殺された。肉体的にもボロボロになった彼に、直訴だの辞表だのをやってた頃の元気はなかった。

夫人亡き後の彼は、福祉施設で静かに暮らした。1901年の第1回ノーベル平和賞受賞がなければ、彼は最期まで生活保護を受けつつ、ひっそり一生を終えたことだろう。

自分の利益より人助けを優先させると、事業どころか日常生活すら人並みにやっていくのは難しい。まあ、ここまでやる人はめったにいないだろうが。

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●もし事業家として才能があったら

製粉会社からの帰り道、くずかごから食べ物を拾う浮浪者に遭遇。この光景に心を痛めたデュナン、製粉した小麦粉で大量のパンを作り、貧しい人たちに分け与える。やがてスイス及びその周辺の福祉施設で「パンのおじさん」としてデュナンはスター扱いされ、奉仕の精神を代弁する「デュナン」ブランドのパンは世界的に販売網を拡大。所得税対策のため、デュナンの肖像入りヘリコプターを使って戦場の兵士たち、らくだを連れた砂漠の旅人たち、食糧難に喘ぐ難民たちの上から、デュナン印のパンをばら撒く。と、未開の地を中心に世界各所で「神の使者デュナン」伝説が発祥。日本でも20世紀終盤に「『アンパンマン』のモデルはデュナン」説が広がる。
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「負傷して武器を持たない兵士は、もはや軍人ではない」
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■プロフィール

赤十字の創設者で、世界組織YMCAの創設者の一人でもある。著書『ソルフェリーノの思い出』の反響から赤十字規約を決議、12ヵ国間で赤十字条約が調印され、これが国際赤十字活動の基礎となった。赤十字の記章は、デュナンの祖国であるスイスの国旗の色を逆にしたもの。ホスピスでたまたま老人たちの話を聞いていたジャーナリストがデュナンに気づいてノーベル平和賞受賞にいたったものの、賞金のほとんどは赤十字に寄付した。奴隷や捕虜の待遇改善などにも尽力したが、現在もジュネーブでは「皆からお金を借りて会社をつぶし、踏み倒した人」だと評判は悪く、「嫌われてるね。ごらんよ、市内に銅像一つないだろう」なんていわれてるらしい。

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■参考文献

吹浦忠正『赤十字とアンリ・デュナン 戦争とヒューマニティの相剋』中公新書(中央公論社、1991)


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