2005年07月01日

福沢諭吉(1834-1901)…思想家、教育者

<門閥制度は親の敵>

●父早死に:諭吉の場合

諭吉の父は、学村豊かな教養人であったが、諭吉が3歳の時、45年の生涯を封建制度に縛られ何もできぬまま、空しく世を去った。身分の低い下級武士だった彼は、諭吉が生まれた時、息子を坊主にするつもりでいた。

父の死後、諭吉は母子6人で大阪から中津に帰郷し、貧しく惨めな生活を送った。中津では封建制度や士族の門閥制度が厳しく、子供たちの間でも貴賎や身分の違いによる差別がはっきりしていた。身分の低い下級武士の息子である諭吉は、遊んでいる最中にも上士族の子弟に見下された。学力にも腕力にも自信のあった諭吉は、こうした制度に余計に腹が立ってならなかった。

諭吉は成人した後、亡き父がなぜ自分を坊主にしようとしたのかを推察した。封建制度の世では、先祖代々、家老の家に生まれた者は家老、足軽の家に生まれた者は足軽と、何年経っても職業も身分も変わらない。当然、下級武士の息子は名を成すことはできない。ところが坊主だけは魚屋の息子が大僧正になったというような話もたくさんあり、封建制度の枠から外れている。父が自分を坊主にしようと考えたのはそのためだろう。そう思い至った。

一生を封建制度に束縛されて死んでいった父を、諭吉は不憫に思った。生まれたばかりの息子を坊主にしてでも名を上げさせたいとまで考えた父親の心中の苦しさや、彼の愛情の深さを思っては、封建制度を憤り、1人涙を流した。そして彼は、涙だけで終わらなかった。

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●人生のポイント

後に「門閥制度は親の敵で御座る」(『福翁自伝』)と記した彼は、生まれ持った個人の独立・自由・平等を基礎にした国民国家の形成と、独立と平等の関係で交わる国際社会を構想し、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」で始まる『学問のすゝめ』シリーズを刊行する。

これは340万部と大反響を呼び、他のベストセラー『文明論之概略』『西洋事情』ともに彼の名を高めた。さらに、日本近代私学の原型となる英学の私塾・慶応義塾(のちの慶応義塾大学)を創設し、新聞による世論形成を願って『時事新報』を発行する。

やがて「国際社会を支配するのは力である」という権力政治観に移行した諭吉は、文明化の遅れた中国や朝鮮の同類と見なされぬよう、西洋文明を導入すべしという脱亜入欧思想を『時事新報』に「脱亜論」として論じた。日清戦争会戦時には軍事介入による朝鮮の文明化や、戦後には列強による中国分割へ日本が割り込むべきだいう考えを唱える。

確かに、天は人の上に人なんか作らない。人の上に人を作り、人の下に人を作るのは人間だ。人は生まれながらにして皆平等だという諭吉は、人の値打ちは学問のあるなしで決まる、と説いた。それまで、そんなものなくても幸せだったはずの日本人たちは、学歴を得るため必死になった。次には権力で国の上下が生まれることを説いた。説かれた日本人は矛盾を追及するのでなく、ひたすら上を目指した。

そして日本、今日に至る。

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●もし父親が生きていたら

語学に秀でた僧となった諭吉は、仏教先進国のインドや中国などアジア各国に渡り修行三昧。帰国後に著した『涅槃之概略』『東洋事情』の他、「天上天下、唯我独尊」で始まる『仏門のすゝめ』シリーズは大ベストセラーに。その後も明治維新で新政府が出した神仏分離令と神道国教化政策(神仏分離)に異を唱え、寺院、仏像、仏具などの破壊行動への抵抗運動に加わり、廃仏毀釈に反対する農民一揆を統率。禅と修行と経典による世論の形成を願って『般若心報』を発行し、悟りによって生死輪廻の苦から逃れられるという「解脱論」を説く。やがて「人や物に執着しても、それは変化し消滅するものなので、失望するだけである」という諸行無常観に至る。
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「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」
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■プロフィール

中津藩下屋敷に蘭学塾を開き、最初の幕府使節のアメリカ派遣で渡米。以後ヨーロッパ6ヵ国をめぐり、封建門閥を棄てた変革や、開国と富国強兵への構想を育む。はじめは尊攘倒幕派を盲目的な排外運動としかみることができなかったが、やがて新政府の開明性に気づき『学問のすゝめ』シリーズを刊行し、伊藤博文,井上馨,大隈重信から求められた政府機関紙発行への参加にも同意した。政変後は、『時事新報』の創刊による新聞による世論形成と慶応義塾での教育に集中し、やがて彼の思想は、近代化へのスローガン「内安外競」「脱亜入欧」「官民調和」に帰結し、権力志向となる。また、日本に保険制度を紹介し、保険事業に大きく貢献している。

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■参考文献

福沢諭吉/富田正文校訂『福翁自伝』岩波クラシックス(岩波書店、1983)
福沢諭吉『学問のすすめ 改版』岩波文庫(岩波書店、1978)
木原武一『あの偉人たちを育てた子供時代の習慣』(PHP研究所、2003)


posted by 73 at 19:40| Comment(0) | TrackBack(2) | 父早死に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Weblog: eBinem
Tracked: 2005-07-10 20:00

建白書
Excerpt: 父が生きていれば、ですか。 面白い発想ですね。信長がもし暗殺されなければと同様のインパクトがありました。大僧正の諭吉も説法だけで終わったんでしょうかね。     
Weblog: 徒然エッセイ
Tracked: 2005-07-15 16:17
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