2005年07月05日

マリー・キュリー(1867-1934)…ポーランド→フランス/物理学者、化学者

<ガイジン女の隙>

●不倫:マリー・キュリーの場合

44歳のとき、マリー・キュリーは6歳年下の物理学者・ポール・ランジュバンと愛人関係にあった。第3回ノーベル物理学賞を共同受賞したマリーの夫ピエールは、6年前に交通事故で亡くなっていた。

妻と別居していたランジュバンは、ピエールの生徒であり友人であった。理解のない妻との離婚を望む彼が、顔見知りのマリーに相談を重ねるうち、2人は親しくなったのだ。

1911年、新聞が2人の交際を報道すると、マリーはバッシングの集中砲火を浴びる。まもなく、彼女がランジュバンに宛てた手紙は、彼の妻の手を通して誌面に公表されることになる。ランジュバンが妻と別れて「幸福になる権利」「自分の人生を生きる権利」という手紙文中に示された考えは「功利主義的な科学的道徳」を擁護するものとして、徹底的な攻撃の対象となる。

群集はマリーの自宅周辺に集まり、「外国女は出て行け、夫泥棒」などと罵声を浴びせ、石を投げつける。仕方なくマリーは友人の家に避難しなければならなかった。

そもそもフランス人にとって、男性の不倫というのは日常茶飯事。普通であればわざわざ騒ぎ立てるほどの話ではない。実際、ランジュバンはマリーとの関係を終えた後、名もない秘書を愛人としたが、彼の妻はマリーのときのように訴えたり脅したりなどせず、周囲も黙認した。マリーが執拗に批判されたのは、彼女が高名な女性であり、外国人だったためなのである。

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●人生のポイント

「女性」であり「外国人」であることにより不利な立場に立たされたのは、マリーにとって初めてではない。ランジュバンとの関係によりバッシングを浴びる直前、マリーはフランス科学アカデミーのメンバーに立候補し、1票差で落選している。実績からすれば彼女がメンバーとなるのは当然だが、「伝統あるアカデミーに女を入れてたまるか」という反発が生じたのだ。

不倫バッシング覚めやらぬ中、マリーは2度目のノーベル賞を受ける。このときの化学賞受賞は、純粋な金属ラジウムの単離に成功したため、となっているが、すでに存在の確認されている物質を取り出しただけのこの業績が、2度目の受賞に値するかは、未だに意見が分かれる。有力な科学者仲間が、再起不能かと思われるほどに窮地に立たされた彼女を、再度のノーベル賞で助け出し、励まそう、という動きはあったらしい。

1903年にノーベル物理学賞を夫と受賞した時、マリーは「初めてノーベル賞を受賞した女性」だったが、この受賞により「初めてノーベル賞を2度受賞した人」となった。それまでマリーを「夫の力で受賞した女」と見なしていた者も「2度目」「単独」でのノーベル賞受賞により、彼女への見方を変えていった。

こうして徐々にスキャンダルは風化した。第1次世界大戦中に娘イレーヌとともに放射線装置で傷痍兵の治療にあたったことも、マリーの名誉挽回を生んだ。受賞とわかりやすい社会貢献は、マリー自身を救ったのである。

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●もし不倫しなかったら

東に「山内一豊の妻」西に「ピエール・キュリーの妻」あり、ってな具合にマリーの評価は「内助の功を果たした良妻」として定着。彼女のノーベル賞共同受賞、放射能の影響らしき第二子の流産・体重の激減・白血病による死は、夫の放射能研究に一生を翻弄された女の波乱万丈ストーリーとして語り告がれ、科学的業績はそのほとんどが夫の力によるものとされ、1度きりの受賞体験が彼女の人生のピークだったと評される。20世紀中盤には「自然科学系の女性ノーベル賞受賞者は最初3名すべて夫との共同研究」という事実を突きつけられ「やっぱ女1人じゃノーベル賞は無理」「あわよくば」と死に物狂いの仲睦まじさで夫の研究を手伝う科学者の妻が続出。
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「人生において恐れるべきことは何もない。必ず解決できるのだから」

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■ プロフィール

父は中等学校の数学と物理の教師で、キュリーが幼い頃、ポーランドを占領したロシア側に抵抗し左遷され、義理の兄の事業計画に投資して全財産を失った。新元素(発見した放射能を放つ物質に、祖国ポーランドにちなんで「ポロニウム」と名付けるなど、フランス移住後も生まれ故郷を愛し続けた)の発見、放射化学の基本的方法の開発により1903年に物理学賞、純粋の金属ラジウムの単離により1911年に化学賞でノーベル賞を受けたキュリー、自然科学の異なる部門で2回受賞している者は、他にいない。晩年には国際連盟の知的協力国際委員会の委員となる。なお、娘イレーヌもノーベル化学賞を夫と共同受賞し、マリーとランジュヴァンの孫同士は結婚している。

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■参考文献

スーザン・クイン/田中京子訳『マリー・キュリー』(みすず書房、1999)
ロバート・リード/木村絹子訳『キュリー夫人の素顔』上下(共立出版、1975)
斎藤美奈子『紅一点論』ちくま文庫(筑摩書房、2001)


posted by 73 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 不倫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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