2005年07月26日

孔子(前551-前479)…古代中国/思想家、儒教の祖

<69にして挫折>

●亡命:孔子の場合

「50にして天命を知る」といった孔子だが、彼自身は50になっても自分の運命がどうなるのかわかっていなかった。

孔子が「政治の道に従事しよう」と本格的に考えるようになったのは50歳頃のこと。ずいぶん遅いが、51歳で中都の宰に任命され、翌年には中央官職となり、着々と実務の腕を振るった。54歳で魯の大司寇(司法大臣)となるが、翌年には横暴政治への改革をはかって失敗。結局、実質的に政治に従事したのは、55歳で職を退くまでの数年間に過ぎなかった。

その後、孔子は亡命の旅に発ち、自分の理想とする政治を採用してくれる君主を捜し求めて放浪する。14年間、曹、衛、宋、鄭、陳、蔡、楚の諸国を流浪し遊説してまわるが、彼の為政案はどこへ行っても採用されなかった。旅の途中には、人違いで殺されかけたり、飢えたりもして、3度も命を落としそうになった。こんなひどい目にあった亡命だが、何の役に立ったのかよくわからない。

結局、69歳のときに帰還を求められたため、孔子は祖国の魯に帰る。しばらくは大夫として待遇されたものの、彼の意見は聞き入れられず、最後まで政治の場に登用されることはなかった。55でリストラされて求職にあがくが不採用を繰り返し、70歳近くでようやく職を諦めた孔子。彼を皮肉った「孔子一生就職難」という言葉があるが、普通もう30年くらい若いうちに体験しておくようなことじゃないだろうか。

-------------------------------------------------------------------

●人生のポイント

孔子の名が中国思想史に残るのは、政治に挫折した、亡命後の活動による。彼が政治家として成功していたら、春秋末期の為政者として小さく名を連ねただけだろう。

政界への望みを絶った孔子は、『詩(後の詩経)』や『書(書経)』など典籍の整理をし、これを教材として弟子の教育に専念した。当時集まった若くて優秀な弟子たちは、孔子が壮年に教育した先進の弟子に対し、後進と呼ばれた。この後進たちが残した孔子の言行記録が、儒教の経典『論語』のもととなる。

実は孔子、政治の道を歩もうとする前から「どうして政界に乗り出さないのか」としばしば人に尋ねられていた。もともと、法律や政令による規制よりも、道徳や礼儀を教え導くことが理想的な支配方式だと考えていた彼は「親孝行をし、兄弟仲良くすることが政治への施しとなるのだ」と答えていたのである(このずいぶんのんきで陰険な考え方は、後に魯迅や毛沢東などの急進的革命を目指す人たちに嫌われる)。

先進も含め、孔子が生涯に教えた弟子は全部で3000人。そのうち六芸(礼、楽、射、御、書、数)に通じたものは72人(「弟子三千人、六芸に通ずる者七十二人」)といわれるほどに、学問の普及にはかりしれない影響を及ぼした。亡命せず、ずっと教育に集中していれば、もっと大きな功績を残していたのかもしれないが、年とってから甲斐のない亡命生活をしてしまった焦りが、晩年の信じ難いエネルギーになったように見えなくもない。

-------------------------------------------------------------------

●もし故国に留まっていたら

55歳で政治改革に失敗して以来、「もうちょっと政治をやりたい」というフラストレーションを抱えつつも、魯で教育及び編纂活動に専念。後進たちに問いつめられ「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ」の続きを「四十にして惑わずといいたいところだが実はかなり惑った。五十にして天命を知ったかと思ったけど勘違い。五十五にして大失敗、六十にして耳が遠くなり、六十五にして政治はきっぱり諦める。七十にして孫誕生でちょっと嬉しい」と本音を告白。離縁した妻、長く離れて暮らした息子のことなど、あまり触れないようにしていた話題にも口を滑らせたため「夫婦・親子仲良く」と説く儒学の教義に「但し時と場合による」と注釈が加わる。
kohshi.jpg
「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」
-------------------------------------------------------------------

■ プロフィール

春秋時代の思想家。名は丘、字を仲尼という。下級武士と内縁の妻との間に生まれたが、幼くして父を亡くし、倉庫番や家畜係の仕事をしつつ成長。孔子の理想の政治は「為政者は有徳者でなければならず、法律や政令による厳しい規制よりも、道徳や礼儀による教化」であり、亡命したのは横暴な三桓の勢力を削減しようと改革を試みて失敗したため。『詩経』『書経』を編纂、「礼」「楽」を制定、『易経』を注釈、『春秋』を創作して六芸のすべてに関わったと伝えられるが、これは今日では疑われている。中国の歴史を通じて『論語』ほど広く読まれた書物はないが、遊説を諦めて帰国した孔子を皮肉った「孔子一生就職難」という表現もある。

-------------------------------------------------------------------

■ 参考文献

孔健『わが祖・孔子と「論語」のこころ : 孔子家直系子孫が明かす 知られざる素顔の孔子と孔家流「論語」の読み方』(日本文芸社、1990)
渋沢栄一『孔子 人間、どこまで大きくなれるか』知的生きかた文庫(三笠書房、1996)
和辻哲郎『孔子』著、岩波文庫(岩波書店、1988)


posted by 73 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 亡命 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。