2005年07月29日

ヘレン・ケラー(1880-1968)…アメリカ/福祉事業家、作家

<奇跡の人から寄席の人へ>

●身体障害:ヘレンの場合

人は「障害者」や「有名大学」をなにか色眼鏡で見ているものである。この色眼鏡がなければ、ヘレン・ケラーという人は著名な偉人にはならなかったろう。

アン・サリバンの献身的指導によって言葉を覚えたヘレンは12歳で童話『霜の王様』を雑誌に発表し、注目を集めた。が、これは原作の童話をどこかで読んでもらったことをすっかり忘れたヘレンが、自分の創作と思いこんでしまったことから生まれた作品だ。そっくりな物語が存在したため、ヘレンとサリバンは盗作の疑いをかけられる。

これにより、世間の半分はサリバンがヘレンの天才のおかげで名をあげたと考え、残りの半分はサリバンが天才でヘレンは猿回しだと決め込んだ。世間とはそういうものである。

16歳になったヘレンは、「ペテン師」「操り人形」といった周囲からの非難を見返すため、大学入学を志して必死で勉強。努力は報われ、ラドクリフ・カレッジ(ハーバード大学の女子部)に合格・入学すると、在学中の22歳で自伝『わたしの人生』が出版され大ベストセラーに(ちなみに日本でも、同じように有名大学在学中の身体障害者が書いた伝記が98年に大ベストセラーになっている)。

世間のヘレンを見る目はガラリと変わった。ただし、受験勉強の手助けに無理を強いたため、もともとあまりよくなかったサリバンの視力はひどく悪化した。後にヘレンは「私の大学生活の大部分は退屈だった」と語ったが、世間を納得させる手段に「大卒」は今も有効だ。

-------------------------------------------------------------------

●人生のポイント

いくら讃えられても、結局ヘレンは「障害者」という括りでしか認識されていなかった。このことが判明するのは、彼女が社会運動に身を投じてからのことだ。

30歳を過ぎる頃から、ヘレンは婦人参政権の獲得、反戦運動、産児制限、NAACP(全国黒人地位向上協会)への支持を表明するが、これがもとで、発言の場は狭められてゆく。周囲もマスコミも、急進的活動をする彼女を「意見を述べる権利があるのか」と批判するか、無視するかのどちらかだったのだ。これは「障害者は健常者のことに口を出すな」という根強い差別・偏見があったためだ。

窮地に追いやられたヘレンを受け入れたのは、見世物の世界だった。激減した収入を補うため、彼女はストーリーもへったくれもない三流映画に出演し、盲人協会への寄付を募ろうと、サーカスとともに巡業する。熊やアザラシと同じ寄席のステージに立つこともしばしばだった。「なぜ寄席に出ることにしたのです?」と尋ねる記者に、ヘレンは臆することなく答えた。「お金を稼ぐためですわ」

定番となった演劇『奇跡の人』がある以上、神話的人物として、ヘレン・ケラーは語り継がれてゆくだろう。だが、彼女の発したメッセージや社会活動が着目されず、「三重苦を乗り越えた大卒ベストセラー女性作家」としてしかヘレンを捉えない現状が続けば、ヘレンの存在意義は薄れていくだろう。健常者以上の活躍をする障害者は続々登場しているのだから。

-------------------------------------------------------------------

●もし身体障害がなかったら

アメリカ南部の大地主の家に生まれて、黒人のお手伝いさんと家庭教師つきで育った白人お嬢様ヘレン。優れた容姿を生かして舞台女優を目指すが、ステージで知り合った喜劇俳優と結婚し、ブルジョア専業主婦に転身。近所のお友達を集めてはホームパーティーを繰り返す。「今日はそよ風に吹かれながら木陰でサンドイッチを広げましょう。ねえ、ごらんになって! まぶしい陽の光が木の葉の隙間からキラキラ輝いて見えるわ……なんて素晴らしいんでしょう!」「しーっ、耳を澄ましてみてちょうだい。あの小川のそばで小鳥たちが軽やかな声でさえずっているわ」日々、こんな感じ。ギョロ目の夫はお笑いから政治家に転身し、国会議員を務める。
helen.jpg
「障害は不便である。しかし、不幸ではない」
-------------------------------------------------------------------

■プロフィール

幼少時の熱病により鴛・盲目・聾唖となり演劇『奇跡の人』で知られるように少女時代はジャングルの野獣のように成長する。7歳のときにアン・サリバンの教育を受け、聾唖を克服。壮年期から社会活動に積極的に関わり、世界各地の社会主義雑誌に多く転載された論文「私はいかにして社会主義者となったか」を記す。少年労働への警告、死刑反対、産児制限運動を支持し、特に婦人参政権運動には反戦運動に劣らぬ熱意を示した。サリバンの死後も、母国アメリカのみならず、海外各地に講演旅行を行い、福祉活動に貢献。日本にも3度にわたって訪れ、身体障害者福祉法の制定、ヘレン・ケラー協会創設に大きく影響を与えている。

-------------------------------------------------------------------

■参考文献

ジョゼフ・P.ラッシュ/中村妙子訳『愛と光への旅 : ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン』 (新潮社、 1982)
木原武一『大人のための偉人伝』新潮選書(新潮社、1989)
ヘレン・ケラー/岩橋武夫訳『わたしの生涯』角川文庫(角川書店、1966)


posted by 73 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 身体障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

ヘレン・ケラーの名言
Excerpt: 人生は恐れを知らぬ冒険か、無のどちらかである Life is either a daring adventure of nothing by ヘレン・ケラー ◆説明 ┣人生..
Weblog: 悩んだときには名言集を
Tracked: 2010-03-04 16:31
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。