2005年08月16日

ルードヴィッヒ・ベートーヴェン(1770-1827)…ドイツ/作曲家

<遺書を書く>

●身体障害:ベートーヴェンの場合

ベートーヴェンが難聴に気づいたのは27歳頃。悪化してゆくばかりの症状は音楽家として致命的だと自覚していた彼は、聴力の衰えに気づかれないよう交際を避け、偏屈で人間嫌いな気難しい人間になってゆく。

1802年の秋には自殺を決意し、2人の弟に宛て、その意を書き記す。これは書かれた場所にちなんで「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる。6年間無能な医者に容態を悪化させられてきたこと、回復するだろうという期待を抱いては欺かれ続けたこと、「もっと大きい声で話してください! 私はつんぼですから!」と自分の弱点をさらけ出すことがどうしてもできなかったこと、人の集まりに近づくと自分の症状を気づかれるのではないかという恐ろしい不安を感じていたことなどがここに記されている。

1815年の秋からは、ベートーヴェンはまったく耳が聞こえなくなった。

1822年に歌劇『フィデリオ』の指揮を彼が務めようとしたが、指揮棒が示すめちゃくちゃなテンポで大混乱に陥った。友人の「演奏を続けないで下さい。訳は家へ帰ってから」という走り書きを見ると、ベートーヴェンはまっすぐに駆けて自宅へ帰っていった。

晩年には木製の棒を口にくわえ、その一端をピアノの上に乗せて音を聞いていたとも言われる。エジソンが音を感じた方法によく似ている。ベートーヴェンやエジソンでなくとも、誰もが老いれば耳は遠くなる。どうやら歯は大事にしといたほうがよさそうだ。

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●人生のポイント

「ハイリゲンシュタットの遺書」には、彼が生きる希望を見出す過程が綴られている。

「自ら自分の命を絶つまでにはほんの少しのところであった。私を引き留めたものはただ『芸術』だけである。自分が使命を自覚している仕事をし遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ」(中略)「不幸な人間は、自分と同じひとりの不幸な者が自然のあらゆる障害にもかかわらず、価値ある芸術家と人間との列に伍しめられるがために、全力を尽くしたことを知って、そこに慰めを見出すがよい!」

結局、生前は誰の目にも触れなかったこの文を信用するなら、1796年から耳の病気が始まったことになる。それ以前の彼の作品は3つのみで、これを記した後、傑作を立て続けに作曲している。「英雄」*1、「運命」*2、歌劇『フィデリオ』などは、「悩みを突き抜けて歓喜に到れ」という、彼の残した金言を表すかのような苦悩と歓喜を感じさせる。また、「皇帝」*3「田園」*4「悲壮」*5などの名作も聴覚なしに作られたものだ。

1824年「第9」*6初演時、ベートーヴェンは演奏後の歓声と大喝采の拍手に気づかなかった。客席を向いてステージに立たされた彼の目の前には、気違いじみた熱狂が生じており、感激のあまり泣き出す観客もいた。アンコールは5度目に警察官によって制止。

演奏会の後ベートーヴェンは、「感動のあまり気絶」した。マンガの中だけでしか起こらないと思われているような珍しいことをする人である。

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●もし身体障害がなかったら

自らの悪筆により「テレーゼ」が「エリーゼ」と読まれていることに気づいたベート−ヴェン、作品名を「テレーゼのために」と修正。「死ぬ術を悟らぬ人間は気の毒だ。私は15歳ですでにそれを悟っていた」という憂鬱症の彼は、度重なる失恋など比較的瑣末な苦悩に打ちひしがれ、何度も遺書を記す。すべての曲にちょっとずつ深みが欠け、現在「ジャジャジャジャーン」で知られる「運命」*2は、「ピャピャピャピャ〜ン」の軽さに。死後、「ウィーンの遺書」「ボンの遺書」「ボヘミアの遺書」など、彼が各所で記した遺書が次々発見され、出版社は書籍『遺書で味わうベートーヴェン』を刊行。旅行代理店による「ベートーヴェン遺書ツアー」なども話題に。
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「真に称賛すべき人間の特長は、逆境に直面した時、強い信念のもと、自分の生き方を貫けることだ」

*1 《第3番・英雄交響曲(エロイカ)》作品55 
*2 《第5番・運命》作品67(1808) 
*3 《ピアノ協奏曲第5番・皇帝(エンペラー)》作品73 
*4 《第6番・田園交響曲(パストラーレ)》作品68(1808) 
*5 《悲愴ソナタ》作品13 
*6 《第9交響曲》作品125

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■ プロフィール

ハイドン、モーツァルトと並んでウィーン古典派三巨匠と呼ばれ、19世紀の音楽家たちにとっては偶像的作曲家。幼い頃から父親にピアノの手ほどきを受け、7歳ですでに演奏会でピアノ協奏曲を披露し才能を示す。16歳で母が亡くすと飲酒癖が高じた父は廃人と化し、以来ベートーベンが一家の家計を担った。弟が死んだ後は甥カールの後見人となり、その教育を生きがいとするが、この熱烈な偏愛が甥の自殺未遂を招いた。なお、交響曲第五番が「運命交響曲」と呼ばれるのは「運命はこのように扉を叩く」と友人に語ったことから。「エリーゼのために」はハンガリーの伯爵令嬢テレーゼのために作曲したが、悪筆のために誤読されてこの曲名が定着した。

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■参考文献

青木やよひ編著『図説ベートーヴェン』(河出新房新社、1995)
ロマン・ロラン/吉田秀和等訳『ベートーヴェン』(みすず書房、1970)
三枝成彰『大作曲家たちの履歴書』(中央公論社、1997)


posted by 73 at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 身体障害 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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