2005年08月30日

グレゴール・メンデル(1822-84)…オーストリア/修道士、遺伝研究家

<修道士の奮闘>

●生前不遇:メンデルの場合

「見ていてごらん、今に私の時代が来る」と周囲に語ったメンデル。彼の生きている間、ついにその時代は訪れなかった。

生活苦のために修道士となったメンデルは、自然科学を愛好していた。ダーウィンの『種の起源』を愛読した彼は、進化論を証明する道具としてエンドウを選び、225回の単調な交配実験を8年間にわたって続けた。実験には彼の勤める聖トマス修道院の中庭縦15メートル、横20メートルほどの狭い土地を使った。数学を得意とした彼は、12980個の雑種を育て、これらを統計処理し「メンデルの遺伝の法則」を導き出した。

この研究成果を1865年2月に発表。翌年には論文「植物雑種の研究」が無名の地方学会誌『ブリュン自然科学会誌』に掲載される。

が、当時はこの論文に対する反応はゼロ。完全な無視をくらったメンデルは、交流のあった生物学界の権威者ネーゲリに論文を送る。

しかし、エンドウのような栽培品種の種形成は研究価値がないと考えていた彼、論文を無価値と決め付けた。

ただし、メンデルを「利用できる奴」と思ったようだ。2年後にはネーゲリが研究していたミヤマコウゾリナ属を与えられ、メンデルはこの交配実験を開始する。

この種は受粉なしに種子をつける(当時は未明だった)うえ、非常に細かい作業を要し、交配実験には不向きだった。思うような成果を得られぬままメンデルは目を悪くし、結果的にネーゲリは彼を不幸にした。

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●人生のポイント

その後もメンデルは研究や実験を行うが、修道院長となった彼には雑務や身体的な問題が生じ、時間を割けなくなった。

晩年の10年間を、メンデルは修道院税法への反対闘争に費やした。差し押さえを受けても味方を失っても、頑固一徹の姿勢で執拗に(研究の仕方もこんなだったのだろう)異議を申し立て続ける彼は、「誇大妄想の修道院長」「訴訟狂」「精神病では」と噂された。

やがてメンデルが病に倒れると、代理人はさっさと税法に降伏し、妥協した。徴税闘争にエネルギーを使い果たし、完全に打ちのめされたメンデルは、日の目を見ぬまま死んでいった。

さて、彼の論文が発表されてから34年後、彼の死から16年後の1900年、オランダのド・フリース、ドイツのコレンス、オーストリアのチェルマックが立て続けに、メンデルの文献を引用した論文を発表した。彼らは各自交配実験を試み、3人とも同じ結論に達したが、より精密で正確なメンデルの研究成果を見つけ、自分たちの「発見」だと思っていた事実は「再発見」でしかないことを悟ったのだ。

メンデルの説が埋もれていたのは、発表当時の生物学会では数理統計的手法が理解されなかったり、科学者としてはド素人だった異業種の彼が学会でナメられていたのかもしれない。「再発見」とともにメンデルフィーバーが巻き起こり、彼にちなんだ「メンデリズム」などの用語が生まれた。しかし、メンデル自身はすでに墓地に埋もれていた。

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●もし生前に評価されていたら

以前から宗教的行事や決まりごとを面倒がっていたメンデルに対し、「修道士のくせに進化論を裏付けるだなんて神を否定するつもりか」と、非難轟々。居たたまれなくなってついに修道院を飛び出した彼はイギリスに渡る。教会を恐れるダーウィンに会い、賞賛を浴びまくった後、進化論反対者について一緒にグチる。帰国後は父の経営していた果樹園を研究施設に改築し、中断していた蜜蜂の交配、太陽の黒点観測を再開する。ふと「自分も妹もいくら駆けずり回っても小太り体質から逃れられないのは父からの遺伝によるものではないか」と思い立ち、やせっぽちの女性と結婚し、できるだけ多くの子供を生ませ、自らの子孫によって優性形質を確かめる。
mendel.jpg

「いつか私の時代がきっと来る」
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■プロフィール

修道士で遺伝研究家。農家に生まれたこともあり、幼い頃から植物とのつながりは強かった。が、家族の不幸のため、そのままでは学業を続けることができず21歳で修道士となる。教員になるための国家検定試験を受け、2度も不合格になっているが、ギムナジウム代用教員、ウィーン大学留学、ブリュン実科学校教師を経て、修道院長に。彼のエンドウを使った研究は遺伝現象を支える実態(今でいう遺伝子)の存在を明らかにし、のちの研究に影響を与えた。気象に関する研究や養蜂なども行っている。なお、神を否定する裏づけとなる遺伝の法則について、メンデル自身がわざと口をつぐんでおり、積極的に宣伝しなかったために評価が遅れたとする説がある。

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■参考文献

フーゴー・イルチス/長島礼訳『メンデル伝』(東京創元社、1960)


posted by 73 at 09:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 生前不遇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ロンドンからはじめまして!
死後にやっと認められたんですね。
私もちょっと食べたらすぐ太るのは
母からの遺伝かと。。。
それにしても偉人と呼ばれる人は
忍耐強いですね。
Posted by ロタ at 2006年03月13日 20:16
日本からはじめまして!
生前に認められない人って多いですよね。
でも、本当に昔の人は頭良いですね(@_@;)
Posted by タコ蓋 at 2011年12月19日 17:42
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