2005年08月19日

ジャンヌ・ダルク(1411か12‐31)…フランス/バロア王家を支援した少女

<利用価値の高い女>

●死刑:ジャンヌの場合

ジャンヌは「神の声」に忠実に従った女性である。

イングランド軍に包囲され、自暴自棄になっていたフランスの王子シャルル7世。ジャンヌは神のお告げどおりに、彼の復権をかけて戦う。オルレアンの兵士を率いて、包囲したイギリス軍を撃破し、狙い通りにシャルル7世は戴冠する。

が、落馬がもとでブルゴーニュ軍の捕虜になった彼女は、イングランド王家に売られてしまう。オルレアン側が身代金を支払えば彼女は釈放されていたはずだが、何の助けも得られないまま幽閉の身に。

その後、ジャンヌは戦争裁判でなく宗教裁判にかけられる。ジャンヌに対して行われたのは、無実の人間をあらゆる詭弁で有罪とし処刑する、典型的な魔女裁判だ。彼女を悪魔の手下だということにすれば負けたイギリス側も面目が立つのである。

起訴状の内容は、でたらめながらもメルヘンチックで「彼女は、樫の森で遊んだり妖精の木のまわりで踊ったりしていたことでわかるように、子供のときから魔法使いだった。彼女はたえず悪魔と通じているが、それを天使や聖女たちであるといいたてている。いつも身に着けている指輪や軍旗には、魔法がしかけられている」等々、全70条に及ぶ。

とはいえ、「王冠を持った天使が空から降りてきた」などと法廷証言するジャンヌを理解するのも難しい。今の日本だと刑法第39条で無罪になるとこだろうけど、神に背く異端女とされたジャンヌ、有罪→火刑となる。

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●人生のポイント

火刑の際には、ジャンヌの身につけている衣服が火刑台の上で燃え尽きたのを見計らうと、死刑執行人はいったん火を遠ざけ、彼女の全裸を人々の前に晒し、本人であることに疑いの余地が残らないようにした。燃え盛る炎の中で「イエス様!」と叫んで息絶えたジャンヌの体からは1羽の白い鳩が飛び立ち、それを見たイギリス人は「われわれは聖女を焼き殺してしまった」と恐れおののいた、らしい。

また、純潔を証明するため処女検査が行われたり、兵士に陵辱されかかったりと、幽閉時にも彼女はずいぶんセクハラな目にあっている。いちいちビジュアル的にできすぎたサディスティックな逸話だらけだが、実際、彼女を題材にした演劇や映画は非常に多い。それらのほとんどは真実をよりわかりにくくしているが、ジャンヌの高感度・知名度を上げてもいる。

実際のところ、16世紀以降のジャンヌは歴史の中に埋没しており、王室では彼女の名が中傷とともに語られていた。ところが1803年、ジャンヌ記念像を再建しようとするオルレアン市の企画に、当時の国家主席ナポレオンが「フランスの独立が脅かされる時には、優れた英雄が出て必ず奇跡をもたらしてくれることを、ジャンヌ・ダルクは証明している」という推薦の辞を記した。これによりジャンヌの歴史における評価が決定付けられ、自分を彼女になぞらえたナポレオンの評価まで高まった。

つまるところ、ジャンヌは死んだ後まで、ものすごく利用価値の高い女だったのである。

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●もし無罪になっていたら

聖女ジャンヌが解放されると、雨後のタケノコのようにヨーロッパのあちらこちらから「私は神の声を聞いた」「天使を見た」という奴があちらこちらから現れる。そのうち権力者にとって使えそうな人材は生かされ、戦争などの道具として利用される。生かしといてもあんまり何の得にもならなそうな者たちは、魔女裁判にかけられ、火あぶりなどによる大量虐殺で一斉清掃。こっそりフランスに戻されたジャンヌのほうは、複雑な想いを抱えつつもひっそり暮らし、生まれた息子ノストラダムスをいつか王家シャルルの役に立つ人間に育てようと、医学を学ばせる。

ただし、これは仮に、ジャンヌがはじめから無罪判決を得たとして。1920年ローマ教皇庁はジャンヌを聖女に列し、1956年には判決の無効とジャンヌの復権を認めているので、「もし」なんて話でなく、すでに彼女の無罪は確定されているといえる。
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「行動することです。そうすれば、神も行動されます」
■プロフィール・参考文献


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2005年07月22日

ソクラテス(前470か46-前399)…古代ギリシア/哲学者

<善く生き、毒飲む>

●有罪:ソクラテスの場合

ソクラテスは裁判の結果、死刑に処された。

人々と哲学的対話を交わすことを仕事としたソクラテスは、有力者や美しい青少年を街角や体操場でいきなりとっつかまえて「勇気とは何か」「正義とは何か」などと質問攻めにし、相手の答えの矛盾を突いた。これはソクラテスが、知らないということを知っていること……「無知の知」を、すべての人間に悟らせようとしたため、らしい。普通、こういう迷惑なオジサンに出くわしたら、そっと逃げるのが得策だ。相手が「それはわからない」と、自分の無知を告白するまで、ソクラテスは延々と議論を展開した。そのやり方は、自らの無知を露呈された人々の怒りを買った。ま、当然だろう。

やがて彼は「アテネの若者の道徳を堕落させ、異端の教えを説いた」と訴えられた。裁判での彼は弁護人を断り「自分は教師として人々の役に立っており、むしろ誉めてほしいぐらいだ」などと、自ら無実を主張した。が、皮肉を含むソクラテスの供述はかえって反感を買い、2回目の裁判では死刑が宣告された。

監獄での彼は判決が出てからも、いつもと変わらず友人たちと面会し、哲学について語り合った。弟子のクリトンが脱獄できるようとりはからってくれたので、逃亡して他国へ亡命することもできたのに、彼はそうしなかった。最期の日、毒ニンジンの入ったコップを渡されたソクラテスは、アテネの法に従い、自らの意思でそれを飲み、死んだ。

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●人生のポイント

小学校の道徳の教科書には「ソクラテスは、死けいになりました。はんけつにしたがってどくにんじんをのんで死にました」という話が掲載されている。読んだ児童たちは、謎だらけの校則にも従うほかないと思いそうだが、実際のところ、この死刑エピソードこそ、彼が広くその名を知られる最大の理由である。

ソクラテスが自分で書いた本はひとつもないし、ゴーストライターを使ったこともない。が、彼の思想や言動は、時と場所を越えて多くの人に知られている。これは彼の死後、プラトンやクセノフォンなど、ソクラテスを敬愛していた者たちが記述を遺したためである。

もともと政治家を志していたプラトンがその道を断念し、執筆を始めたのは、祖国アテネが師ソクラテスを不当に処刑したことに衝撃を受けたことがきっかけとなっている。また、クセノフォンのソクラテスに関する記述も、この裁判に関わる内容に多くを割いている。つまり、この裁判やら処刑やらがなければ、ソクラテスについての資料は今よりはるかに少なかったのだ。

また、死ぬときまで「善く生きる」ことの追求にこだわった彼の冷静な態度は、哲学に転換と飛躍をもたらした。それまでギリシア哲学の主題は「宇宙の原理を問う」ことだった。が、自分の命と引き換えにでも「善く生きること」を追求する人間が現れたことで、初めて自己と自己の根拠への問いが哲学的主題となり、人間の内面へ目が向けられるようになったのである。

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●もし無罪になっていたら

すでに70過ぎのよぼよぼ爺さんとなったソクラテス、無罪判決で釈放されるも間もなく老衰死。生前の彼との討論で面目をつぶされた人たちはその死に狂喜し「タラコ唇でひしゃげた獅子鼻のデメキン禿げ男」「あいつが無罪でも妻は悪妻」など、亡きソクラテスへの誹謗中傷が炸裂。プラトンは政治家となりソクラテスについての記述はほとんど残らないが、「若い頃から度々幻聴を聞いてはいきなり立ち止まって1日中動かなくなり、毎日街角や体操場で美しい青少年をとっつかまえてやたらと長く話し込むブサイクじじい」……が、「実はけっこうマトモなこと考えてたみたい」「なんかリスペクトされてたっぽい」などの歪んだ伝説がほんのり語り継がれる。
sokrates.jpg
「世界を動かそうと思ったら、自分を動かすことから始めよ」
■プロフィール・参考文献
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