2005年07月19日

野口英世(1876-1928)…日本/医学者、細菌学者

<他人の金で拓けたテンボウ>

●借金:英世の場合

英世が借金を重ねるようになったのは、医学を志して上京後のことである。彼の才能を認めた歯科医・血脇守之助が、月15円(当時の中学教師の月給並)の学資を援助するが、英世は学業のみならず酒と女遊びに精を出し、毎回あっという間にスッカラピンになってしまう。

順天堂病院助手として給料を得るようになっても、英世は郷里の友人に無心を重ねた。清国の国際防疫班に加わったときには、出発前に飲んで騒いで支度金の96円を使い果たし、泣きつかれた血脇が新婚の妻の着物を質に入れ、5円を工面した。清国では英世に相当な収入があったはずだが、毎夜歓楽街で遊んだうえ、友人にも金を騙し取られ、結局無一文で帰国する。

その後、野口は研究のためアメリカへ発つ。このとき帰国したら娘と結婚するという約束で婚約者の家族から結納金として300円、渡米の費用に恩師から200円を受け取る。

が、送別の宴をあまりに派手に行ったため、船の切符も買わぬまま残金は30円に。再び泣きつかれた血脇、高利貸しから300円を借りて英世に渡す。その後も英世は、フィアンセの家族から搾り取るだけの金を搾り取り、結局この婚約は破談に。

渡米後も金銭感覚はルーズなままで、たびたび友人たちから借金をした。このため、研究者仲間たちは「野口に金を貸すな」とささやきあった。帝国学士院から恩賜賞を授与されることになったときは、友人から7000円(5000円とも)を帰国費用として送金してもらっている。何様のつもりだろう。

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●人生のポイント

成人するまで、英世には「他人のお金を使うことで自分の願いが実現される」ことが度々だった。

尋常小学校でさえ就学率が50%ほどだった当時、貧農の家に生まれた彼が進級できたのは、彼の猛烈な勉強による優秀な成績に加え、高等小学校の教師である小林栄から援助の申し出があったためである。

英世が手を手術できたのも、周囲からの金銭的援助のおかげだ。彼は学校の作文で「この手がある限り、どれほど努力しても、自分は一人前になれないのではないか。いっそ小刀で5本の指を切り裂こうとまで思う」と、コンプレックスを赤裸々に綴った。これを受け、英世に同情した人たちの間で募金が始まり、集まったお金で手術が施された。こうして、丸くくっついていた英世の右手は、10数年ぶりに5本の指となった。

後年、英世は知人に向けて語った。「僕にとって研究は投機一転、または賭けの一種だ。一生懸命やっても結果は当たるか外れるかわからない。東京帝大の緒方正樹は能力と学識では上だが、弟子の北里(柴三郎)のほうが賭けに当たったから世界的に名を成した。もしこんな血の滲むような労苦をして、それでも当たらないなら、鉄道自殺でもやるかもしれないな」

研究が「当た」って世界的に名を成すことができれば、あとはなんだってかまわなかったのだろう。不眠不休で働き続け「人間発電機」と呼ばれた彼の名誉欲は尋常でなかったが、金は彼にとって道具以上のものではなかったのだのだ。

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●もし倹約家だったら

手への同情から人々が恵んでくれるお金をすべて貯金し、英世は一家の稼ぎ頭となる。放浪の旅に発ち、手を聴衆に晒してはお涙頂戴の火傷話を披露してまわる。成人後は足代つきの講演先で芸者と酒の接待を受けるようになり、金も使わず人生ウハウハ状態。語学を得意とした英世はついに渡米。火傷の話に加えて「金を使わず酒池肉林の旅行三昧を実現する法」を定番ネタに遊説し、全米で注目を集める。調子づいた英世は、講演中に10回お辞儀をするテンボー(ten bow)ギャグを編み出すが、これがまったくウケずに大ブーイングの嵐。その後は鳴かず飛ばずで、すでに築いた莫大な貯金をちょっとずつ使いながら質素に暮らす。
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「周りの人間も周りの状況も自分が作り出した影だと知るべきである」
■プロフィール・参考文献


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2005年07月08日

カール・マルクス(1818-83)…ドイツ/共産主義思想家、運動家

<実は浪費家>

●借金:マルクスの場合

ブルジョア階級の家庭に生まれ、弁護士の父を持つマルクスは、成人してからの人生のほとんどを借金に追われながら生きた。

食うや食わずの状態に陥っては、「妻は毎日、子供たちと一緒に死んでしまいたいといっている」などとフリードリヒ・エンゲルスに窮状を訴える手紙を書き送り、援助を求めた。裕福な親戚や知人にも金を無心し、誰か死ねば遺産を期待した。

といっても、彼に金がなかったのではない。実際のところ、最も困窮した年でさえ、マルクスはエンゲルスをはじめとする各方面から、切り詰めればそこそこ生活できるくらいの助成金を得ていたのである。借金の原因は、使いすぎだ。借金取りが列をなして家のドアを叩き、家族の食べ物も満足に買えない状況となっても、マルクスは秘書を雇い、妻の服を新調し、子供を学費の高い専門学校に通わせてフランス語、イタリア語、絵画、音楽の家庭教師をつけた。

もともとマルクスは若い頃から金遣いが荒く、大学在学中もほとんど講義に出席しないで、絶えず借金をしていた。1年に親の仕送りを700タラー近く浪費したが、これは普通の学生が使う金額の数倍であり、当時の市議会議員の年収に相当する。

生きるということの究極の法則を問われたマルクスは「闘争!」と答えている。ということは、借金取りとの闘争も、彼が望むところだったのだろうか。真の意味のマルクス思想とやらは、「節約」とは相容れないものなのかもしれない。

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●人生のポイント

マルクスがブルジョア階級に生まれながらブルジョアを憎み、持たざる者の声を代弁できたのは、自らを持たざるものの状態に追いやる比類なき才能を持ち合わせていたためかもしれない。「商品の価値は標準的な条件のもとでその生産に必要とされる労働量で決まる」と労働価値説を展開させた彼だが、商品を得る手段として労働しようとしたことはほとんどないのだ。

借金が途方もなく膨れ上がったときには、さすがのマルクスも鉄道会社の事務員として働こうとしたが、あまりに字が汚く誰にも読めないので不採用となる。彼がどうにか生き長らえ、数々の著書を完成させることができたのは、彼の妻以外に唯一その汚い字を読める人物、エンゲルスの助成によるところが大きい。彼は精神的にも経済的にも革命的にも、マルクスが生きている間のみならず死んだ後まで、バックアップし続けたのである。

不安定な生活を強いられたマルクスの子供たちは、4人が彼より先に死に、2人が自殺している。「これほど金不足な人間が'金'について書いたことはこれまで1度もなかったのではないか」と自らをジョークのネタにしながら、マルクスは30数年をかけて主著『資本論(資本――経済学批判)』を書き上げた。

が、今でこそ「リンネル」の意味もわからぬままやたらと読まれるこの本、当時はほとんど売れなかった。あまりに反響がなくて不眠症に陥ったマルクス、国籍も遺言もたいした財産もないまま亡くなった。

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●もし倹約家だったら

倹約主義者同盟を組織し、「今日までのあらゆる売り買いの歴史は価格闘争の歴史である」の序文で始まる『倹約党宣言』を記す。この書により、投資家、貯蓄家、宵越しの金は持たない江戸っ子などの浪費家による三項対立が明らかにされる。浪費好きの貴族たちを非難しているうちに不当逮捕が繰り返されるようになり、ケチの集まるオランダに亡命。「食事とは味わうものではなく、空腹を満たすもの」という考えを全世界に広め、「水道水をチョロチョロ少しずつ出しても水道代は変わらない」など、これまで信じられてきた倹約法に異論を提唱。価額による家計理論を樹立するために記された彼の主著『基本――高額批判』は、節約好き小市民のバイブルに。
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「哲学者たちがやったのは、いろんな方法でこの世界を解釈しただけだ。重要なのは変えることだ」
■プロフィール・参考文献
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