2010年07月10日

レイチェル・カーソン(1907-64)…アメリカ/生物学者

<死後があるから>

●闘病・カーソンの場合


「『沈黙の春』の裏にはなかなかの物語があります。ほんとになんという病気のカタログでしょう! 迷信深い人だったら、不吉な力が働いて、なんらかの方法で本を完成させないようにしていると簡単に信じてしまうでしょうね」

カーソンが友人にこんな手紙を書いたのは、『沈黙の春』の出版される1962年のことだ。このときは虹彩炎で目がほとんど見えず、一日に二、三時間ほど仕事をするのがやっとだった。

『沈黙の春』執筆に取りかかった1958年から、カーソンは病気に苦しんでばかりいた。慢性の副鼻腔炎を長く患ったかと思えば、1960年初頭に「十二指腸潰瘍」だと友人への手紙に記している。次にはウイルス性の肺炎、そしてまたしても副鼻腔炎に苦しむ。

『沈黙の春』で癌について二章を割き記されているが、この部分を書き終えた頃は、担当医に手術を勧められている。このときカーソンは、すでに癌に罹患していたのだ。左側のリンパ腺と胸のかなりの部分の筋肉が切り取られたカーソンは、自分の寿命がもう長くはないと知った。

癌治療の放射線療法に慣れ始めた頃、軽い膀胱炎で症状が始まり、ブドウ状球菌の感染が見つかる。両足は静脈炎になり、炎症が起きて、歩くことも立つこともできないほど激しい痛みに襲われた。入院、病院への通院などで、『沈黙の春』はそのまま沈黙で終わってしまうのではないかと思われるほどに停滞ばかりを繰り返した。

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● 人生のポイント

「先のことを少しでも考えるときには、体がばらばらに砕けてしまいそうになるの!」時にはこんな弱音を吐いたカーソンだが、病の中でも前向きな決意と自信を保とうと試み続けた。「このような経験をして、ただ一つよかったと思えることは、仕事から長いあいだ離れざるを得なかったことによって、いつも捜し求めつつ手にすることができなかった、より広い展望が得られたことではないかと思っています。今はすべてのことを単純に、おそらく、より簡潔に、あまり詳細に立ち入らないで書く方法を探しています」と、病の床から手紙に記している。

闘病中、「もし私の時間が限られているのなら、何よりも私が望むことは作品を完成させることだ」と、目標ををはっきり定めた。目が見えなくなった時期は、自分の書いた言葉を耳で聞いて原稿を確認した。ここで韻律を整え、簡潔明瞭を求めて書き直し、文章は詩的な美しさを増した。

カーソン54歳のとき「沈黙の春」が発売されると、文章中で告発した薬品の利権に関係する化学産業界や農務省から激烈な批判を浴びたが、嵐のような批判にさらされ続ける期間は56歳で息を引き取るまでの三年で済んだ。「私が、私の知らない多くの人びとの心の中にさえ、そして美しく愛すべき物事との連想を通じて、私は生き続けるだろうと考えるのはうれしいことです」と、最後まで気丈に構え続けたカーソンは、死ごときで自分の書いたことの影響が消えるわけではないとわかっていた。

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● もし患わなければ

細部ばかりがやたらと強調され、専門用語だらけの小難しい言い回しがそのまま使われた『沈黙の春』は一部のインテリだけにしか読まれず、一般大衆の多くにはカーソンの意図が伝わらない。化学企業はパンフレット配布、新聞、ラジオ、テレビを利用し、農薬のイメージを守り、回復するため大量の資金を投入。こうしたあの手この手が時とともに世論を侵食し、多くの人に「『沈黙の春』はトンデモ本」「レイチェル・カーソンは老いて呆けた神秘主義者」というイメージが定着。世話好きのカーソンは、自分が病まなくとも、親戚の介護や育児でいつも手一杯だったが、バッシングへの反論に疲れ果て、人間嫌いの偏屈老人となり隠遁。誰からも忘れられた頃、孤独な死を迎える。
Rachel Louise Carson.JPG


posted by 73 at 16:55| Comment(3) | TrackBack(0) | 闘病 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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