2005年10月18日

アンネ・フランク(1929‐45)…ドイツ/ユダヤ系実業家の娘

<永遠に「幼い少女」>

●夭折:アンネの場合

ブログなどで日記を書いてて、ふと、「自分が死んだらこの日記どうなるんだろう?」と考える。で、「今は自分の日記なんて誰も読んでくれないけど、自分の死後『アンネの日記』のようにクローズアップされて、大フィーバーを巻き起こしちゃったりなんかして」なんて考えてしまう……そんな人がいっぱいいる以上、やはりアンネはただの女の子でなく「偉人」である。

アンネはドイツのフランクフルトに生まれ、5歳でアムステルダムに移住した。オランダをドイツが占領すると、アンネ一家はユダヤ人の強制移送を恐れて、1942年の夏から民家の屋根裏に隠れ住んだ。この時点でアンネの寿命はあと3年、である。

44年8月、一家は逮捕され収容所に送られ翌年2月、アンネと姉は発疹チフスにかかり、ブツブツだらけになった。まず、姉が衰弱して死に、アンネの気力はすっかりくじけた。姉の遺体が運ばれるのを見た彼女は、ベッドで「お父さんもお母さんも、もう死んでいるに違いないし、これで私は家へ帰る目的がなくなった」とつぶやき、3日後に息を引き取った。16歳だった。

実際は、父は生きていた。終戦後、隠れ家での生活を綴った日記により「何とかして有名になりたい」「死後も生き続けて人の役に立ちたい」という亡きアンネの願いを知った父は、この日記を刊行まで漕ぎ着けた。こういう父を持つ人は少ないだろうが、彼女と同じ志を持ちつつ日記を書いてる人なら、今の世にもゴロゴロいるだろう。

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●人生のポイント

アンネより勇敢にナチスと戦った人はもちろん、彼女よりひどい思いをした人は山のようにいた。だのに日記が遺されてたくらいでなぜ、彼女だけがマクドナルドとかコカコーラ並みの知名度を持つようになったのか? 「日記だけならワナビーアンネ」な人なら、ぜひ押さえておこう。

まず、日記が1944年8月1日で終わっているところが重要だ。記された不幸さがいくらひどいとはいえ、さらにひどい収容所のことは書かれず「これはちょっと子供には見せられない」というほどのグロテスクさはない。「ほどほど」に留まっているのだ。で、日記の後、確実にもっと不幸になってる事実が、読む者の想像力を刺激する。

弱さというのも、時にとてつもない武器となる。強靭な中年男性が同情を集めながら万人から愛されるのは難しい。第二次性徴では女の方がデカい体、という事実はこの際どうでもよく、大事なのは「少女=か弱い」というイメージだ。幼い少女というイメージは、最終的に全員が同情を抱かざるを得ないよう仕組まれたかのように申し分ない。

これに加え、アンネが幼くして死んだというのがミソだ。生きる少女は老婆になるが、死んだ少女は永遠に少女のままである。

所詮、人は皆死ぬ。地球だって最後には終わる。突き詰めればすべてが虚しい世界の中で、たいていの読者より短く救いのない人生。その断片が記された『アンネの日記』は、矛盾に満ちた人生を癒し、死後の夢を読者に与える。

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●もし長生きしていたら

若い頃に記した日記を戦後書き足したアンネがこれを出版社に持ち込むと「何、このおめでたい文体は?」と、前半部分の多くが削除されて発刊。ナチスVSユダヤネタの出版ラッシュに埋もれて注目を浴びない自著を片手に、戦争被害者としての体験を広める慈善活動家に。「えっ? またユダヤネタ? もう飽きたのに〜」と内心思いながらも口に出せない大衆を相手に講演を重ねるうち、相手に楽しんで話を聞いてもらわねばと手品とジャズと漫談の才能を身に付け、ユダヤネタを織り込んだコメディ映画を撮影。21世紀になってからキティというブログに記される『アンネの孫日記』が話題に。
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posted by 73 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 夭折 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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